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日本の活字本とその歴史

Printed books in Japan and its History

古活字版とキリシタン版

日本ではイエズス会士ヴァリニャーノが、天正遣欧使節団の帰国時に活版印刷機を持ち帰り、
1590年に「キリシタン版」と呼ばれる出版を始めました。
同じころ、日本でも“活字を使った印刷”、 「古活字版」と呼ばれた出版物が少しだけ行われていました。
その後、キリシタン版から300年も後の明治初期。
本木昌造や平野富二が作った築地明朝体活字を使った“活版印刷物”が、
日本人が最初に金属活字を造って印刷した出版物になると思われます。 Mizuno guide


Japan
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『特命全権大使米欧回覧実記』(久米邦武編、博聞社、明治11年、洋装本)
エッチングの各種挿絵を含む本格的な洋装本です。岩倉使節団は条約改正交渉を目指し、1年9か月をかけて欧米12か国を歴訪し、その記録を公開しました。

印 刷 物 に み る

日本研究

西洋古地図には、日本はアジアの果てにある未知の島国として登場しました。
大航海時代になり東西交流が盛んになると、宣教師たちが日本での見聞を報告しました。
近代的な日本研究の基礎になったケンペルとシーボルトの本、それを読んで開国を迫ったぺリーの遠征記を集めました。

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『Iapan I』(ジェラルド・メルカトール、1610年)
日本がヨーロッパで注目されたきっかけは、13世紀のマルコ・ポーロの『東方見聞録』の“黄金の国ジパング”です。
メルカトール図法を考案したベルギー人の地理学者メルカトールは、ポルトガルの宣教師の報告を基に『アトラス(世界地図帳)』を作りました。

Mizuno guide

印 刷 物 に よ る

海外事情の紹介

ジョン万次郎や福澤諭吉は、幕末から明治への激動の時代に様々な外国の情報を日本に紹介しました。

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(上)『西洋旅案内』(福澤諭吉 1867年)
福澤諭吉は、江戸幕府の命により1860年以降数度に渉り欧米を視察し見聞を広め、封建制の日本には存在しなかった西洋の近代的な思想、制度や技術を 紹介しました。『西洋旅案内』は旅行ガイドですが、外国為替や保険の事に触れた最初の文献です。
(下)『万次郎漂流記』(肥前長崎鈍通子記録)
ジョン万次郎は漁中に嵐で漂流し、捕鯨船に救助されてアメリカ本土で教育を受け、1851年に帰国するまでの記録。ぺリーの江戸来航時、幕府の通訳とし て活躍し、遣米使節団の一人として福澤諭吉と共に咸臨丸に乗り込んでいます。

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(左)『NIPPON』(フランツ・フォン・シーボルト 1897年)
シーボルトは長崎出島のオランダ商館医。出島の外に鳴滝塾を開設して西洋医学教育を行い、多くの活躍者を出しました。彼の膨大な日本研究は、『NIPPON』『日本植物 誌』『日本動物誌』などにまとめられて出版されました。
(右)『ペリー日本遠征記』(フランシス・ホークス編全3巻1857年)
ペリー提督による二度の日本遠征後、米国議会の要請をうけて牧師ホークスが編集し、ペリーが監修した公式報告書。第1巻はペリーの日記を中心にした浦賀までの航海記。第2巻は、随員による各種調査報告に、日米和親条約の締結文や各種地図が添付されています。第3巻は、随行員による天文観察の報告です。
(下)『日本誌』(エンゲルベルト・ケンペル 全2巻1777、1779年)
ケンペルも長崎出島のオランダ商館のドイツ人医師。オランダ商館長に随行して二度も江戸参府をはたし、日本の歴史、言語、物産、鎖国中の日本各地の地図を作成しました。仏訳はディドロの『百科全書』の日本関連項目の典拠となっています。