History of Printing and Printing Presses
人間は集団で行動をし、それを記録をする生き物です。
何時から、どのように記録を作り、伝え、残してきたのでしょうか?
❶スタンプ・シール
(メソポタミア出土、紀元前3000年頃)
シュメール人は、板状の石に文字や絵を刻み、
押しつけて記録する方法を用いました。
❷シリンダー・シール
(バビロニア出土、紀元前2200年頃)
その後、円筒形の石に彫刻を施し、柔らかい粘土板の上を
転がしてできた印影で
所有者を示すために用いました。
❸粘土板
(シュメール、紀元前2000年頃)
メソポタミア地方では粘土で板を作り、先の尖った突筆で
楔型文字を印し、天日で乾かすか焼いて粘土の本を作りました。
パピルス文書
(4 ~ 7世紀)
古代エジプト人はパピルス製の書写材料を発明しました。
曲げる事が出来ないので巻物でした。
アレクサンドリアの図書館には数十万巻が所蔵されていた
といわれています。また重要な輸出品で
もありました。
百万塔陀羅尼経
(770年)
十大寺に十万基を納めるため、完成までに157人の工人が
6年もかかったといわれます。印刷は木版説が強く、
現在、開版年度の明らかな世界最古の印刷物です。
印 仏
(中国敦煌出土、8世紀頃)
インドでは仏像印を織布の上に押印して『千体仏』を
作りました。中国へ渡ると、刻印仏像を下に置き、
墨を塗り、紙をのせ、摺仏を作りました。
英国人オーレル・スタイン博士が敦煌の洞窟で発見
した印仏です。
ミサ曲
(パーチメント、13世紀)
アナトリアのペルガモンではパピルスの輸入が止められ、
パーチメント(羊皮紙)やヴェラム(仔牛皮紙)を
書写材料に使うようになりました。
獣皮紙は、両面に書け、折り曲げられるので
冊子本が作れましたが、非常に高価でした。
12世紀になると中国から安価な紙の製法が伝播し、
書写材料は紙になりました。
本にとっては、扉や余白を飾る図版は重要な要素で、凸版、凹版、平版と、それぞれの版で様々な技法が開発されてきました。
ディオスコリディスの薬物書への注釈
(マッティリオ、1568年)
凸版の木版印刷(板目木版)がイタリアに伝わったのは
15世紀初め頃で、グーテンベルクの活版印刷発明後も
しばらくは、挿絵を中心に続けられました。
18世紀末に板目木版の摩耗の欠点を改良しようと、堅い材木を
利用した木口木版の技法が考案され、非常に緻密な図柄を彫る
事にも適していました。
木口木版版木
(フランス、19世紀)
凸版の木版印刷(板目木版)がイタリアに伝わったのは
15世紀初め頃で、グーテンベルクの活版印刷発明後も
しばらくは、挿絵を中心に続けられました。
18世紀末に板目木版の摩耗の欠点を改良しようと、堅い材木を
利用した木口木版の技法が考案され、非常に緻密な図柄を彫る
事にも適していました。
デカメロン
(ボッカチオ、銅版挿絵、1757年)
凹阪の銅版画は、15世紀の終り頃に発明され、
直に版を彫刻する直接法と、腐食によって凹線を得る
間接法の2種類があります。17世紀末になると、直接法
の新技法メゾチントが開発され、油絵の複製手段として
イギリスで発達しました。
ゴルファーの肖像画
(L.F.アボット、1790年、メゾチント)
凹阪の銅版画は、15世紀の終り頃に発明され、
直に版を彫刻する直接法と、腐食によって凹線を得る
間接法の2種類があります。17世紀末になると、直接法
の新技法メゾチントが開発され、油絵の複製手段として
イギリスで発達しました。
リトグラフ/石版石
(ドイツのゾルンフォーヘン地方産)
ボヘミアのアロイス・ゼネフェルダーが、1798年に
水と油の反発作用を利用してインクをのせる
平版印刷のリトグラフを完成させました。描画が自由で、
そのまま印刷できるので、画家達に広がりました。
日本橋之白雨
(安藤広重、復刻版版木、19回の刷り)
印刷・出版が大きく発展した元禄時代は絵画も庶民の
愛好の対象となり、多彩な才能を輩出しました。
浮世絵の大きな転機は、1765年(明和2年)の鈴木春信
の多色刷版画(錦絵)の発明からです。
版を何枚も重ねて多様な色を出せるようになり、
寛政期には浮世絵爛熟の時代になりました。
江戸時代になると活字の数が多い古活字版はすたれ、
版木で摺る、様々な印刷物が発展しました。
グーテンベルクの活版印刷機は木製でした。産業革命が興り「鉄の時代」になると、
総鉄製の印刷機が発明され、
印刷の質が向上し、出版物も飛躍的に増加しました。18世紀の総鉄製印刷機と最初期の日本製の印刷機も集めました。
グーテンベルク印刷機
(レプリカ)
15世紀中頃には、印刷技術の発明に必要な設備や
機材も整ってきました。1430年にはストラスブルクに
製紙工場が建てられ、1410年頃に油絵具が発明され、
焼アマニ油を使った油性印刷インクが出来上がりました。
印刷機は、ヨーロッパで昔から使われていたオリーブや
ブドウ搾り機、布用の模様押圧機、書物圧搾機などを
応用したものでした。
ハンド・モールド(活字鋳造機)
(イギリス製、18世紀初期)
鉛合金活字は印刷機の発明と同じくらい重要です。
鉛活字は鉛と錫とアンチモンの合金で、低温で
溶解するため簡単に鋳造ができ、真鍮の鋳型を
使うことで精密度の高い活字になります。
東洋の古活字のように手作業ではなく、機械での
大量生産が可能になりました。
スタンホーププレス
(No.132、1816年製)
18世紀まで、グーテンベルクの時代と同じ木製の平圧式
印刷機でしたが、1798年にイギリスのスタンホープ卿は
初めて総鉄製の手引き印刷機を設計し、
1800年にロンドンで製品化されました。
コロンビアンプレス
(クライマー&ディクソン社、1833年製)
1813年にジョン・クライマーが米国フィラデルフィアで
製造を始めた印刷機です。ほとんどのコロンビアンプレス
にはアメリカを象徴するワシの鉄製錘がついています。
アルビオンプレス
(R.W.コープ社、1860年製)
1822年、R.W.コープによって製造され、改良を重ねて
一層シンプルな印刷機になりました。
機能的で印刷効果も良く、モリスはこのタイプの機械で
世界で最も美しい本のひとつ『チョーサー著作集』を
印刷しています。
日本製の印刷機(ハンドプレス)
(1885年頃製)
外国製の印刷機が輸入され始めると、早速それらを
模して国産の印刷機を製造するようになりました。
1876年(明治9年)のフィラデルフィア万国博覧会には
早くも国産印刷機(ハンドプレス)が登場し、好評を得た
といわれています。本機は、現存している国産印刷機としては
一番古く、築地活版製造所製です。
2007年中央区民文化財に認定。
同年日本機械学会が選定した『機械遺産』第17号に認定
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